ぼくがきみを好きだとしても、きみにそれは関係がない。
- あめ
- 2022年11月29日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年11月29日
note(というサイト)でエッセーでも書こうかな、と思ったら、部ログに書けばいいじゃんということばかり書き始めていて、もう嫌になっちゃいました、あめさんです。あめさんはいつもおんなじようなことしか考えていなくて、わたしは本当に音楽に恋をしているのかいないのか、そればかり考えています。この苦悩の時間が恋なんだと思うけど、でもやっぱり認めたくないから、ずっと音楽のことばかり考えています
わたしは電車でぼーっとしている時に詩を書きます、音楽を聞けば良いと思うんだけど、イヤホンを胸ポケットから出すのが面倒で。ツイッター見てるよりもマシかなと思って。でもツイッター見てるのも詩を書いてるのも、本当は同じなんですよね。通知や誰かのツイートを待つということは、幻想を描いて期待しているというわけで、詩を作る時に見ているものと一緒なんですよね
なんで詩の話をしたかというと、最近わたしの中でブームだからです。(軽音の話とは逸れますが、後で軽音の話に戻ってくるから、許してください。)合唱部で関東大会に行った時に、埼玉県立松山女子高等学校の演奏を聞いて、圧倒されたんです。その松山女子の歌っていた曲が最果タヒさんの詩だったのですが、最果タヒさんの詩のきらきらした感じと、松山女子のきらきらした感じが非常に合っていて、詩を自分たちのものにしてしまっているのが、とても良かった。わたしはそのあと最果タヒさんの詩集を買いました。もともと詩はたまに書いていたけれど、あの時松山女子に出会っていなかったら、今月こんなに詩を書いていなかったでしょう
合唱やポピュラー音楽に限らず、歌曲、言葉を伴う音楽というのは、詩に先立っていなければいけない、と思うのです。いかに詩と向き合うかが音楽になる、と。音楽に技術はもちろん大切だけれど、言葉を使うなら言葉を歌いきらなければいけないと思う。その点で松山女子は感動した。耳ざわりのいい、口当たりのいい、付け焼刃の、それっぽい言葉に酔っているだけだったら音楽がもったいないじゃないですか
ボーカルには旋律だけでなくて言葉も与えられているからこの問題と闘っていかなければいけなくて、さらに楽器持って歌ってる人とかはもうすごいですよ。もう。まあ担当する旋律がちょっと増えただけといえばそうですけど
わたしたちは音楽を消費してしまいがちで、コンビニで音楽が流れていたり、テレビ番組のBGMになっていたり、作業する時に裏で流したり、すぐに口ずさんだり、それが悪いと言っているわけじゃないですが、真に向き合おうとするなら、詩を、旋律を、もっと丁寧に愛して自分のものにしていかなければならないのだなと思います
逆に詩も、文字列として書かれたときより音楽として組み立てられるとより立体的になっておもしろい。言葉は文字ではなくて音だから、音楽に乗るとより深みが増す気がしますよね。音楽と詩は相互作用
でも音楽体験による感動を言葉で書き残そうとするとうまくいかない。音楽はその場の空気を震わせることによって成立して、すべてが一度きりのものだけれど、言葉は音を伴っているとはいえ符号としての役割しか果たさないから、何かにとどまることができる。性質が違う。だから、わたしの松山女子を聞いた時の感動を、そっくりそのままは、みんなに言葉で伝えることができなくて、かなしいな~と思います
前回の部ログで、次は音楽と家庭環境について書きますって言っちゃったけど、全然違う話になっちゃった。また今度にします
あと、一年の部ログライター増えるとうれしいよね~、わたしも一年の時さいしょはひとりでめちゃさみしかったから
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今日の一曲
しろくならない / Cody・Lee(李)
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来年は卯年らしいですね、絵文字も選曲も季節を先取りしてみました(シャランラー💁♀️)あと、あめさんの最近の詩も良かったら見てください→https://slib.net/114737
おわり
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