C-FES2022 参加レポ / 音を楽しむのが音楽か?
- あんたく
- 2023年2月8日
- 読了時間: 13分
もう2月だってよ
みなさまお久しぶりです。あんたくです。新年が始まったと思っていたら早々に一ヶ月が経過してしまいました。残りのライブの回数を指折り数え溜め息をつく日々...。寂しいです。
今回は先日2/5に行われたC-FES2022の参加レポートといつもの記事の2本立てでお送りします。スタジオではなくホールでの発表という貴重な体験の高揚感をうまく言語化できればなぁと思います。
お知らせ
前回の愛海さんの記事でもさらっと言及してましたが改めて。企画バンドfortettoの正式結成が決まりました!やったー!!!
去年の今頃はこんなことになるなんて想像もしていませんでした。またこのメンツで演奏できるの嬉しすぎる...!残りの発表機会が少ないのだけが心残りですが、全力で活動していこうと思いますのでよろしくお願いします。
もちろんNexus-blessとさるびあ伯爵も引き続き精力的に活動していくつもりです。色々なバンドで色々な演奏ができて、わしゃ幸せもんじゃのう。
というわけでfortettoのインスタが開設されました。シン・冬ライブの動画が見れますのでよければー。
さるびあも年始からインスタが始動しております。今までの動画が全部見れるのでぜひぜひー。
この流れで演劇部もフォローお願いします
Nexus-blessのインスタは作るタイミングを見失ったため存在しません。残念。
C-FES2022 参加レポ
昨年度も開催されたC-FESに縁あって今年も参加させていただきました。昨年との違いなんかを比較しながらのんびり感想を書いていくつもりです。
今年度の会場は千葉市民会館。恥ずかしながら今までこの建物の存在を知りませんでした。

でかい!!!前回会場の千葉市文化センターの約2倍の収容人数だそうです。そして今年は有観客のためそこを埋め尽くすのは空気でなくヒト!恐ろしや。

実際に歌うとこんな感じ。中央上部のCFESの文字がイカしてますね。かなり前からセトリを組み照明を考えていただいたようで、非常にカッコ良く決まりました。
舞台に立つとわかるのですが、スタジオで演奏するときとは感覚が全然違います。6人バンドであるNexus-blessが楽器持ってスタジオに立つとかなり狭い(だからこそ楽しいのもある)のですが、ホールはその真逆。メンバーが遠すぎて逆に不安になるくらい。暴れるのには丁度いいです。
でも音響がしっかりしてるので、演奏が始まればそこはスタジオと同じ雰囲気です。いつもと同じ感覚で手拍子したり手を振ったりしてみれば、観客の皆さんはしっかりと答えてくれます。めちゃめちゃ遠いですけどね。これもこれで面白い。
今回のNexus-blessのセトリは以下に。
天体観測 / BUMP OF CHICKEN
水平線 / back number
大不正解 / back number
天体観測は初公開です。会場が暗いため感情移入しながら歌えたなーという感じです。めちゃめちゃ苦手な裏声に少しだけ自信を持てるような演奏ができました。基本ギターが輝く選曲となったのですが、ベースやドラムが時に前に出たりキーボードが変則的に周りをサポートしたりという形でNexus-blessらしさを出せたんじゃないかなと思います。みんなうまかった!!メンバーの都合で5人での参加となったことだけが心残りです。
丁度書きたかった話に繋げられそうなんで少し語ります。お前何言うてんねんって思った人は私が過去に投稿した「知の恐怖」という記事をご覧ください。
今まで原曲を知らず知らずのうちにオク下げしていたことに気づいた私が次に歌う曲に選んだのが、米津玄師の「ピースサイン」でした。気づかなかった事実に気づいた衝撃が大きかったため、かなり消極的な選択でした。「この歌なら頑張れば出せるかもしれない...」みたいな。
まぁそんな精神状態で良い声出せるわけもないですよね。最高音のmid2G♯は各サビに3回ずつ、ラスサビ前のCメロに1回、間奏に2回登場するのですが、とにかく安定性が皆無。無理やり1回成功しても、すぐまたmid2G♯が登場し声が掠れる。非常に辛かったです。
次第に僕以外のメンバーが上手くなっていって、自分だけ取り残されたような感覚を味わいました。これ以上メンバーに迷惑はかけられねぇという気持ちで焦りながら練習してたことも、余計に発声ができなくなる原因となっていたのでしょう。
そんな状態で初めてピースサインを披露したのが、昨年度のC-FES2021でした。今思い返すとかなりひどかった。「自分はmid2G♯を出せるんだ」という自信をつけるため無理やり朝9時からリハでガチの発声をしたせいで、喉のコンディションが最悪の状態で本番を迎えることになりました。正直いって当時の歌は聞けたもんじゃないです。
C-FESが終わり悔しさの中帰宅する中で、2つの目標ができました。1つはピースサインを上手に歌いきること。そしてもう1つは、もう一度この舞台に立ってリベンジすることです。
前者は昨年4月の新人戦で達成しました。そこから自分の歌に対する自信が多少戻ってきました。今ではピースサインはカラオケで歌えば90を切ることはまずない十八番です。きぼーるのグリーンミュージックフェスティバルや前回のシン・冬ライブでも披露しています。
そして後者。この目標が今回叶ったわけです。もちろん私はまだ発展途上の身ですが、人は努力すれば1年でこんなにも成長できるのかという驚きに包まれながら歌っていました。演奏後の拍手が暖かかったことをよく覚えています。来場してくださった方々に深く御礼申し上げます。
県千葉からは同じく2年生バンドの汽音域も参加していました。シン・冬ライブの時も上手くなったなーと感じましたが、更に腕をあげて舞台に立っていました。かっこいい。メンバーどうしの一体感が以前よりも増した印象です。
汽音域のセトリはこんな感じでした。
だから僕は音楽を辞めた / ヨルシカ
夜のピエロ / Ado
春を告げる / yama
前回のシン・冬ライブの4曲目だったヨルシカが初手に来るのすごくよき。相変わらずの上手すぎるピアノに唸ってました。シンセの感触であんなしっとりピアノ弾けるのもはや芸術...と語りたいのですが止まる気がしないので自主規制します。
ベースの安定感は言うまでもないですが、今回はいつにも増して余裕が見られた気がします。いつか某O先輩みたいに暴れながらベース弾くんじゃないかと密かに期待している自分がいます。ドラムも安定感ありましたね。この2パートリズムキープにおいて本当に必要不可欠なのでとても聞きやすかったです。
んでボーカルの成長が特にすさまじかったなという印象です。特に夜のピエロとかたまに本物のAdoじゃないかと錯覚するほどに表現力が発揮されてました。春を告げるの方はギターが光ってましたね。キーボードと重なり合って表現を豊かにしていたなと感じます。
前年のリベンジとはいえど知り合いが誰もいないとそれはそれで不安なので参加してくれて本当にありがたかったです。まぁその嬉しさで待機場所の小ホールでめちゃめちゃ内輪話ばっかしてたのは反省点かもしれませんね(笑)
そして、前年と違う最大のポイントはこの汽音域のように他のバンドと交流ができること!しっかり全バンド見せていただきました。どの高校も非常に個性が強くて見ていてとても面白かったです。個人的に一番好きなのはトップバッターの来花さんですかね。ミセスのダンスホールの裏声が綺麗すぎて…。あれくらい出せるようになりたいなぁ。
我々出演者の待機場所は会場である千葉市民会館大ホールの真下にある小ホールという場所なのですが、実は出演者同士ここで交流したりなどしておりまして。先ほどの来花のボーカルさんにお声がけ頂いたり、SABA CANNのギターと思われる人と水平線のセッションをしたり(あまりに唐突すぎてバンド名聞くの忘れてましたごめんなさい)など、楽しい時間を過ごすことができました。外部の軽音部の方と交流する機会はあまりなかったのですが、こういうのもありだなーという印象です。褒め合うの楽しい。
総じて、かつての苦い思い出を楽しいものへと再構成できた最高のイベントとなりました。CFES関係者及び参加者に深く感謝申し上げます。ありがとうございました!後日公式の動画もアップされるそうなんでよければご覧ください!この記事を読んだ1年生!ぜひ来年参加してみてね!
↓C-FES公式サイト↓
音を楽しむのが音楽か?
色々な思いが溢れすぎて当初の想定よりもレポート部分が長くなってしまいました。前回のシン・冬ライブの振り返りだけして終わってるので、長くはなりますがそろそろ普通の記事も書きますね。
みなさんは2022年10月14日のあめさんの記事「告解室」をご覧になりましたか?個人的に読んでいて衝撃を受けた記事の一つです。記事中にこんな文言が登場しました。
「わたしは音楽そのものを楽しむという感覚が薄いんだと思う。音楽を通して人と交わるのは好きだけど、歌うことが楽しいとか、音楽を聞くのが楽しいとか、それがわからないから、音楽そのものを愛せているかというと、違う」
何事にもいえることですが、何か特定のことをするという条件は必ずしも「それが好きだから」ではないんですよね。それは当然音楽に対してもそうであるはずなのですが、「部活」という趣味・関心から成り立つ集団からこのような考え方が生まれてくるという事実に、多少なりとも動揺した自分がいました。
私は音楽が好きかと問われれば間違いなく好きだと答えるでしょう。ですが、その「音楽」が指し示す定義と私の思う「音楽」とは何かしらの差異が生じているかもしれない。私が愛する「音楽」とは、あめさんの指す「音楽そのもの」と同値なのでしょうか。
と、このような問いを立ててみましたが、実はもう私の中では解が定まっているんです。答えは否。自分と他者との間で、「音楽」に対する理解は違う。重要なのは、その「音楽」の定義が個々人の中で変遷しているということじゃないかと思います。
音楽という文化は、感覚的にも理論的にも捉えることのできる非常に面白い文化です。一つの曲をどちらで捉えるかという観点だけでも、音楽に対する認識は大きく変化するでしょう。ですが自分がどちらに重点を置こうとも、感覚を重視する人も理論を重視する人もどちらも必ずこの世に存在します。その差異が自分の音楽への自信に作用する可能性は否定できません。
私は音楽を理論で捉えるタイプの人があまり得意ではありませんでした。自分の感覚と思わしき何かが全く違う形で出力される恐怖、それを全く理解できない悔しさなど、その理由は様々でしたが、その弊害により気軽に音楽を楽しむことができなかった時期がありました。自分はこの音楽に対する理解が足りてないのだから、安易に好きとか言わない方がいいんじゃないかといったマインドです。その癖感覚で生きてきたから理論を受容しようとはしないんです。愚かですね。
正直今でも理論の部分はよくわかっていませんが、「自分は音楽に対する理解が足りてない」という考え方はとっくに消え去りました。音楽とは理論が全てでなく、もっと敷居の低いものであるということを脳が自然に認識していったんだと思います。具体的に言えば、私の脳は音楽でコロっと感動するようになり、それが記憶として蓄積されていくようになりました。
具体例を挙げた方がわかりやすいかもですね。私の好きな曲の一つにRADWIMPSの「正解」があります。
約1年と数カ月前、2021年の11月。当時合唱委員会委員長だった私が講堂で聞いた歌です。当時の1-Cが歌っていたのですが、Spotifyでこの曲が再生されるたびにイントロを聞くだけでぞわっとなります。最初のピアノを少し聞くだけで、何故か当時の色々な思い出が溢れてくるんです。ここのクラスの指揮者めちゃめちゃリズム正確で上手くて。最優秀指揮者賞の賞状を渡しに教室に入ったら、お祝いのムードが暖かくてこちらまで嬉しくなったこととかよく覚えてます。また、当時1-Cだった友達と一緒に登校してたんですが、合唱委員会の仕事が忙しすぎて本番前1~2週間くらいずっと時間ずらして登校せざるを得なくなるなんてこともありました。久しぶりに会えて話せてすごく嬉しかった記憶もあります。
あとは[Alexandros]の「ワタリドリ」。
これも約1年と数カ月前、当時私の所属していた1-Eが体育祭の創作ダンスで優勝したときの曲です。私は高校生活で一度も4以上の評定をとったことのないくらいの運動音痴なのですが、なぜか代表者になってしまいました。幸いにも振り付け等はクラスのダンス部が仕切ってくれたため、私は前でひたすらにリズムをとり続けるという仕事をしていました。ダンス部の人が休んだ時には私が前で見本として踊る羽目になるなど苦労もたくさんありましたが、良い形で終われた達成感が強く印象に残っています。あとは本番の昼休みにかつての中学の担任(審査員の一人)から「俺ワタリドリあんま好きじゃないんだよねー」っていわれたことも覚えてます。どうだ!優勝したぞ!!!
YOASOBIの「もう少しだけ」も好きです。
6月のRe:twist and shoutにて汽音域がカバーしていた曲です。先ほど申し上げたように私はかつて合唱委員会委員長でしたので、当時最優秀伴奏者賞をとったこのバンドのキーボードのことも当然目をつけていたわけです。まぁ期待を大幅に超える演奏を提供されて私はキーボードから目を離すことができなかったわけですが、その中でもこの曲のインパクトは本当にすさまじかった。出す音すべてがめちゃめちゃ透き通ってるし、間奏の手の動きとかやばすぎる。その後興奮を隠せぬまま楽屋に向かい、当時はまだ片手で数えられる程度の回数だった会話を交わしたところまで全て覚えています。
というわけで今私は好きな曲を3曲語ったわけですが、理論的観点が一切含有されていないことにお気づきでしょうか。これらの曲は、私の過去の「思い出」を再生する契機的存在として「好き」という感情を抱かれているんです。他の人の「音楽」の定義からはズレるかもしれませんが、これも音楽の一つの楽しみ方ではないかなと思います。
もちろん私の音楽の楽しみ方はいわゆる「思い出」型ばかりではありません。アーティストとして好きなあいみょんの曲はSpotifyに死ぬほど入ってますし、他の人からおススメされてハマったものもたくさんあります。これらの結果を総合すると、「音楽」の認識は自分の中でも多様であるということがわかります。音楽というものを1つの型にのみ当てはめて考えてしまうと、どうしても自分の中の「音楽が好き」という感情に自信を持てなくなるのではないでしょうか。
まぁ結局例えとして出せるのは自分の他にはいないため、「それは個人の意見だ、一般的でない」と言われればそれまでなのですが。音楽経験者があちらこちらに眠っている現状をみていると、音楽というものに対しかつてと違う印象を抱いているきらいがあるんじゃないのかなぁと思ったりもします。
特に1年生はこれから先自分の技術を誰かと競う場面が増えると思います。音楽の本質はやはり「楽しむ」ことにありますから、いついかなる時もそれを忘れないでほしいというのが私の願いです。一つの考え方に固執せず、様々な角度から音楽を捉え、受け入れていってほしいです。音楽は難しいですが、皆さんが想像しているほどではありません。
…夜は危険ですね。高ぶった感情が言語化されてついつい文章が長くなってしまいます。流石に長すぎて他の執筆者にキレられる気がしてきたので今回はこのあたりで。次回のライターにもご期待あれ。
おまけ 本日の曲紹介
①メーデー / BUMP OF CHICKEN
Nexus-blessでBUMP OF CHICKENやりたいなぁと色々調べてたら見つけた曲です。天体観測の時も思ったんですがこのバンド本当にギターの使い方がうまいなぁと思います。シンセの雰囲気とかみ合うすっきりとした響きですが、逆にそれがなんかちょっと不安。歌の雰囲気と非常にマッチしているなと感じます。「苦しさと比例して僕らは近付ける 再び呼吸をする時は君と一緒に」とかもうサイコーですね。必ずしも自己犠牲が美徳とされない世の中ではありますが、友の危機にはこれくらいの心持で対応できる自分でありたいなぁと思います。
②Brand new planet / Mr.Children
ミスチルのボーカルの桜井さんがマイクスタンドから異常なスピードでマイクを抜き取るという動画が面白くて何度も見ていたら歌っていたこの曲にハマってしまいました。ミスチル恐るべし。ピアノやストリングスが形作る宇宙空間のような感覚は、宇宙になぞらえられた新たな自分への挑戦を美しく雰囲気作ると同時に、地に足がつかないような不安も起こしているように思います。あえて言いきらずに呼吸を挟み詩を噛みしめているというのがまた良い。思いというのは強く、同時に弱いものなのだというのがひしひしと伝わってきます。fortettoでやりたいけど楽譜がない…(´;ω;`)
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