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ねえ見て、

  • 執筆者の写真: わかこ
    わかこ
  • 2021年10月7日
  • 読了時間: 32分
こんにちは わかこです

最終回ですね。

インスタグラムだったりツイッターだったり自分のnotesだったりどこかSNSに今の自分の面持ちだったりみなさんや部活に対する気持ちと思い出を書き綴って残しておきたいと思ってて、でもやっぱり部ログしかないかなぁということで、ここに書くことにしてるんですけど、そういうわけで人に読んでもらうよりは自分の備忘録兼集大成テキストになると思うので、一応人の目を意識して書くとは思いますが、知ってもらってもいいし知ってもらわなくてもいいことが大半です。あときっと長くなるので、面白そうなとこだけ掻い摘んでも良いし、暇なときにゆっくり読んでもらっても良い、嬉しいですなんでも、目を通してもらえたら。1回で書き決められる自信がないので何度か編集すると思います、嘘だけ書かないようにしときます。


まずはわたしがどうして軽音部に入ったかって話からしよう。元々歌うのが好きで中学生の頃はしおんとかあやかとかといっしょにしょっちゅうカラオケに行ってた。初めてまともに人前で歌ったのは中三の文化祭で「魔笛」をやったときで、夜の女王のアリアをキー2つ下げて歌いました。知らない人に褒められたのが嬉しすぎて、びっくりして、それで味をしめちゃったんだと思います。いつも廊下で歌ってたありさ先輩(部活でポジションも同じだったんだけどこの人の存在はわたしをかなり成長させたと思う)がケルベロス組んで軽音部に入ったのを見て自分も人前で歌いたいと思うようになった。そのときはギターを弾くということを全然考えてなくて、でもピアノを2歳から習ってて(それで音感があるので親に感謝)でも楽譜の通りに練習するのが性にあわなくて中学生くらいからコードというものの存在を知って、これなら記号だけで何となく伴奏がつけられるしメロは歌えばいいし、何より楽譜を読まなくていいのに感動してユーフレットとコードwikiを漁る毎日でした。家で一人で歌うことがほとんどだった。


そうして高一のわたしはフォークソング部に無事入部するわけですが、当初組んでいたのはライチだけでした。あやかと中3の頃から先輩たちのツイッター見てうちらも軽音やろうね!って言い合ってて、同じクラスのまなとその友だちのあかりですんなり組んだ記憶。バンド名がなっかなか決まらなくて仮で出してた「豆腐JUNKIES」にならなくてほんと良かったね。(信じられる?)それからわたしはどこかと兼部するつもりもさらさら無かったからもう1つくらい組もうと思ってたけど中々見つからない。(りことボカロバンドやりたいねってこの時から話してたよね)そして、D組に内進の友だちがいたので昼休みよく通ってたんだけど、そこに山崎真緒さんがいて、何故かわたし(この人どっかで見たなぁ)という気がして「うちらどっかで前に会ったよね!」ってひと言めがはじめましてでした。全くそんなことはなくて絶対引かれたと思うんだけどなぜかよく話すようになったまおさんはオーケストラをやっていて、ピアノが上手で、うちは帰宅部なんだーってスカしたことを言うもんだから「いっしょにバンドやろ!」って誘ったら思ったよりもすんなりOKしてくれました。そんなふうにして誘った彼女に面白い趣味と抜群のセンスがあることを見抜くもなにも手前も手前で出会えてしまったんですね。えー二人でやる?ってなって(この時点でまおさんが意外と積極的なことに面食らったけどすごく嬉しかった)せめてドラムがいたらいいよねって話したけどそのときわたしたちはなんとなく仲良しだったので知らない男の子を誘ったりする気にはなれませんでした。話は飛んで、その頃のわたしは、各クラスに内進の女友だちがいるのをいいことに外進の友だちを増やそうと躍起になっていました。そんなときにあやかに紹介された子がいて、H組のわたしはわざわざ昼休みにA組まで出向いて会いに行ったのがゆうみさんとの出会いでした。ゆうみさんは当時からギャルで茂原で成り上がってきたオーラをプンプンさせながら柔和なA組で幅利かしてんのがひと目で分かりました。初対面のわたしに「かわい〜」といいながら蒲焼さん太郎を差し出しニタニタ笑ってたのをめちゃくちゃ覚えてる。それからコスメの話をたくさんしたりして来年は同じクラスになりたいねえ!なんてよく話してました。ある日わたしが軽音部でメンバーを探していると言うとゆうみさんがしれっと「あたしドラム習ってたよー?」って言うもんだから、へ?と思って話を聞こうと思ったら彼女は動画を見せてくれました。この時のことマジで超覚えてる、それは彼女がドラムの発表会で叩いてる動画で、曲もたしか米津玄師のなんかだったよね?それ見て感動しちゃってほんとにかっこよくてそれでバンドやろって、言ったら「いいよー」ってあのテンションで言われた。バンド名「あたおか」にしよって言ったのはゆうみさんで、じゃあ「あたしたちタピオカ」ねって言ったのはまおさんです。2人の演奏の上手さはほんとにピカイチでギターやベースがいない分合わせやすいのもあり毎週きぼーるに通って1時間で耳コピした動画をツイッターにあげたりしてたね。大好きで面白い2人とバンドができてるってだけでほんとに毎日幸せだった。わたしたちわかこに誘われなかったら軽音部入らなかったねって、よく見つけてくれたね奇跡だよってばっかり言ってました。夏ライブに出たりして(1日目のトップバッターであたオカ出させてもらった!)その頃からみんなが演奏聞いてくれるようになって内心小っ恥ずかしかったです。そこからずっとわたしはりこと何かやりたかったからもとすなを組んだり合同ライブに出たりしてたな。それから初めての中夜祭、わたしはここからだいぶ色んな影響を受けてる気がします。絶対にあそこに立ちたいと思わなかった部員は一人もいないと思います、それくらい素晴らしかった。自分の中でわかりやすく目標が定まってその頃から中夜祭から逆算して考えるようになりました。

あたオカで新しくメンバーを集めたいってなったのもその頃だね。文化祭のI.E.RAWがほんとにかっこよくてステージ見るまで妬ましいと思ってたのが実際やってるのをみて大好きになっちゃうくらいでー。まおさんが、中夜祭に絶対出たいし、そのためにはベースとギターが必要でそれも男子がいいと思うって。既に軽音部に入ってる誰かを誘うのも考えたけどみんなどこかに収まってしまってるし別の部活から新しい人を連れてこようって。人柄とポテンシャル?に妥協したくなくてちょっと手こずった記憶がありますね、先に馬渕に声かけた。馬渕のことは元々隣のクラスで知ってて、オーケストラでバイオリン弾いてる面白男子だと思ってました。まおが声かけてくれてそれで「いいけど、俺バッキングしかできないよ?やるとなったら練習するけど」って言ってたのめっちゃかっこよく見えたんだよな。今では誰よりもギターが似合うよね本当に。

それからまっすーのことは何からというかどこまで話したらいいかよく分からないけども、わたしが彼を初めて知ったのはクラスの男子が秋頃にいじり始めたのが最初で、「増山ってやつ面白いんだよ」って言われるまで知りませんでした。顔と名前が一致した日の放課後、秋の晴れてた日、に1Hの下駄箱で見つけて、初めて話しかけました。「増山!ってひま?バンドやらない?」って、、まおたちとちゃんとメンツこだわろうねって約束したのに二人の許可得ることなく得体の知れないクラスメイトに声をかけてしまったんです。ひと言も話したことがなかった。そのあとすぐにLINE追加して次の日にはOKをもらってました。正直びっくりしたというか、当時のまっすーてすごく尖ってて目つき悪いし表情じゃ何考えてるかわかんないし断られるだろうなと思ってた。まおたちに「増山くん?だれ?大丈夫なの?」って言われて困ったけど「放課後暇そうだし真面目そうだから練習してくれると思う!」とか言って直感を誤魔化してました。

本当にこの時はこの人がわたしの人生ごと変えてくれる人だとは少しも思わなかった。

高一の頃のわたしって自分で言うのもなんだけど今よりももっとキラキラしてて彼氏もいてクラスでもうるさくしてて、その時のわたしは怖かったってまっすー(だけじゃないかも)によく言われます。それに対してまっすーはすごく独りよがりででもその分1人の時間を楽しむ人なんだろうなあって思ってました。ほんとに誰が見ても自分たちからしても立ち振る舞いも性格も価値観も正反対だったのに加入が決まったから、クラスの人になんで?みたいな顔された記憶。でもね、音楽の趣味だけは共通するとこがあって、こんな曲見つけて聴いてるのは自分だけだろう…!と思ってた曲を「俺もそれよく聴いてたー!」って言われるのが新鮮で!それまでは世界が狭くてそこまで盛り上がれる人がいなかったのでその時点でテンション上がってました、思わぬ所でいい友達見つけたなって。あとは成績面にもシンパシーを感じてました、定期テストの度にどっちが最下位かで盛り上がってたなぁ。

冬ライブ前になってゆうみさんが体調崩したりで学校を休みがちになり、あたオカやもとすなでも4人の練習が増えました。この頃まおとよく2人で話してたな、案外まぶちとまっすーは馬が合うみたいで仲良くなってくれてほっとしたけど、今まで音の大部分を占めてたゆうみさんの不在はわたしたちにとってデカくて、そもそもいっしょにスタジオ入れない悲しさもあるし焦りもあるし、冬ライブは誰かにサポートをお願いすることも考えたけど、それをしたらゆうみさんが戻って来づらいかなって2人で考えてそれで4曲のうち1曲ドラムなし、1曲ずつわたしとまおが叩いて最後は打ち込みっていう強硬手段を取りました。部活をしてた2年半楽しいことばっかだったけどこの時だけは苦しさと歯痒さを感じていました。まおと励ましあったり、その頃から立花やはるなにはたくさん話を聞いてもらって支えてもらってたりしてた。でもこの冬ラで打ち込み音源を作ったのをきっかけにわたしは耳コピとか採譜をやるようになったんだよね、冬ライブは終業式の後にあってギリギリまで音源詰めて(ハエのレポートもあった!)オールして遅刻して学校に向かったところ教室で終業式をサボってるまっすーに出くわし、やっぱこいつだなってなってました。その後の冬ライブは本当に記憶に残ってて色んなこと含めて岐路だった感じがします。もとすなはゆうみがいなくて今井が抜けた分ペンタのお兄さん2人に入ってもらって豪華だったね、ライチではノーダウトを先輩に絶賛してもらってそれがすごく嬉しかった。あたオカでは無事当日を迎えたことに加えて色んな気持ちでひしめき合ってしまって泣きそうにMCしてたのを覚えてます、それでも当時の4人でやる音楽はもちろん楽しかったし、何よりライブ終わったあとの馬渕とまっすーがすごく幸せそうだったのが印象に残ってる。

それから年が明けて新人戦に出ました。他校の軽音部の友だちにはここで出会った人が多いな、まゆきさんもここが初めましてだったね。それからラパンの金子さんにもここで出会いました。他校の人たち本当に上手でそういう緊張の仕方をしてたし、すごく焦りも感じた回だったな、I.E.RAWが確か8位とかでそれがすごく嬉しかった、県千葉みんなでぞろぞろ西千葉から帰った光景が脳裏に焼き付いています。(たぶんそれくらいに悔しかったから)

それからtinkを組んで、色々ライブに出させてもらった、当時女の子ばっかの空間でまっすーは肩身が狭そうだったの懐かしい、スタジオ練習の後にみんなでタピオカ飲みに行ったり蒙古タンメン食べに行くようになってから打ち解けて(それからまっすーは1人でタピオカを飲んだりするようになる)今ではほんとに、5人でいる空間が楽しいというか家族みたいに安心感があって、ずっと笑ってるよね5人でいると。初めてのライブでいきなり千葉LOOKでやったときに他のバンド(めちゃくちゃ上手だった!)にすごく褒められて特にベースを褒められて!メンバー全員これが本当に嬉しかった、まっすーやったねって、この辺りからわたしたち仲良しだったな。


それから2年生が入部してきて、わたしは体験入部の場に張り付いてドラム経験者の子を舐めるように探してました、ゆうみさんが脱退してたからね。まおに「居たわ」って言って2人で納田くんの教室に凸りに行って「わたしたちバンドやってて〜、入りませんか?」ってなるべく優しく見えるように言いました、その時納田くんどんなこと考えたんだろう、今までのライブ映像とか見せて(自粛期間中にやったジャパリパークとかも見せた)しばらくしたら是非お願いしますと言ってくれました、5人揃った〜やっと。

その辺からオリジナルを作ろうって言ってわたしが作詞作曲で1個書いてやってました、その時すごく心が柔らかかったというか全てのことが刺激的に感じられてまだ自己が固まっていなかった感があってそれがそのまま歌詞なんかに出てて面白いなと思う。(色んなことを信じられていなかったりそのせいでわたしはダメなんじゃないかと不安に思っている時期だった)完全に忘れてたけど1度思い出したらすごい覚えてる気がしてきた、歌詞も所々好きなので記憶から耳コピしてコードを復活させてもう1回作り直したいなこれ。(余談ですが、ここ書いてた次の日にまっすーがいきなり教室に現れて「長嶋さんの最初のオリ曲の音源出てきた、」って興奮した感じで言ってきて、ほんと1年ぶりくらいにこの曲を聞きました…わたしたちらしくはなかったんだけど、まあ当時あたオカらしさなんぞない訳ですが、歌詞とかメロディーとか所々、やっぱり良くて、2人で感動しました。若い感じがして結構恥ずかしかったけど、作り直したさが増したのできちんとあたオカに落とし込んでからどこかで聴けるようにすることにします。)

夏の終わりに超文化祭に出たね!tinkとライチは、ここでまゆきと初めて喋った、ZOCのTシャツ着てたの覚えてるよ〜、こんな感じで他校の人ともたくさん話せるようになったりし始めて、自分たちと自分に足りないものもよく分かるようになってかっこいいバンドをたくさん見て、暑さも相まって刺激的でした。配信で綺麗に撮ってもらえたのもすごく良かった、いっぱい宣伝して後輩や軽音部じゃない友だちが配信見てくれて、感想たくさんくれて、全部が予想以上で胸がいっぱいになった、、終わって頭の中真っ白の中楽屋戻って(あそこ電波悪いよねえ)スマホ開いたらたくさんLINE来ててわあああってなりました。この辺りからわたしが軽音部であることがアイデンティティになり始めもっともっと享受したい!ってこう欲が出るようになった感じがする。

それからまっすーも曲を作るってなって(あとから聞いたけどわたしの曲を聞いて俺もやりたいってなってくれたらしい、嬉しかった)まっすーはそれまでに1人で作ってた曲があったから参考までにって送ってくれたそれを聞きました。同級生が作ったものと思えなくて、こんなのを作ってるのにわたしのお粗末なオリジナル聞かしてたのが恥ずかしいくらいだったわ、興奮してLINEしたのを覚えてて、何言ってもまっすー恥ずかしそうだったわね。OTONOMORIに出たくて、コンテストだったから絶対にオリジナルの方がいいと思ってそれまで2ヶ月を切ってたけどとりあえず、やってみようか、ってなってまっすーにデモお願いしました。

あの時はほんとに集中して作れてたってまっすーよく言うけど実際あんまり困ったり行き詰まってるように見えなくてまず1番だけ完成したのを最初にわたしに送ってくれたんだよねー、聞いたときの感動はわたし中々忘れられないと思います。すごく興奮したし、この曲がわたしたちの曲であることがすごく誇らしかった。ルンルンでした。悔しさすらないのに驚いたの今思い出した、わたしとまっすーはお互いにないものを持ち合いすぎてて過剰に嫉妬し合ってばっかり同士だから、それも素直になっちゃうくらいよかったよーそのデモは。

感動した勢いで歌詞もメロディーも覚束ぬままにすぐ弾き語りしてまっすーに送り返しました。わたしにとってそれはナチュラルな行為だったんだけどそれを聞いたまっすーがすごく感激して喜んでくれてちょっとびっくりした。それからみんなでアレンジの作業に入ります、ここで煮詰まらなかったのは事前にやってたオリ曲があったからなのかもなぁ。でもイントロのキーボードだけは苦戦しました、なぜかみんなでスタジオ入って考えるっていう。ペン2の5スタ?かな、未だにあそこは「イントロ考えたとこ」になるねわたしたちにとって。100パターンくらいは余裕で考えたと思う。それが今ではすごく「耳に残る」って言ってもらえるようになって…あのフレーズほんとにいいですよね、まおが最終的に考えました。曲の解説もっとしたいけど暇ないので知りたい方はあたオカチャンネルの超中夜祭振り返り配信ご覧になってください。

音源eggsに公開してからたくさんの人に聴いてもらってそういうのが数字になって見えるのが新鮮で、みんなが口ずさんでくれたり聴きながら登校してきた!って報告してくれたりするのがもう嬉しくて(嬉しすぎて上手くリアクションできなかったかも)曲作るってこんなに幸せなことなんだ…ってあたまがぼうっとしてしまうほどでした、今考えたらバンドマンみんながみんなこうなんじゃなくてあたしたちタピオカがマジで環境に恵まれたバンドであり千葉高のみんなが興味持っててくれたおかげで、そこまで通してわたしたち5人の成功体験だよなって感じです。まゆきと保永先輩がコピーしてくれたり、蒼志ちゃん(IDで勝手に呼んでいる)もコピーしてくれたしひがしくんがアレンジしてくれたり、かしすがファンアート書いてくれたり、二次創作もたくさんしてもらって、この域にくるともうさすがに実感が追いつかない。いつもわああっ…ってなってあわあわして何回も見て頭を抱えてます。

OTONOMORIもう1年経つのか、あたオカ5人になって初ライブがOTONOMORIでした。夢に現をお披露目したわけだけど(しかもまおの予定があったから、トリで)緊張して頭の歌詞飛んだね、めちゃくちゃ走ってるしね。でも庄田さんの縮小垢で「あたオカのオリジナルめっちゃいい…」ってツイートされてたのを後から知って、誇らしくなりました、でしょー!ってなった。講評に「いぶし銀」がなんちゃらって書かれてみんなで腹筋しびらしたな懐かし。最後の表彰で県内強豪4位に入り一足先にステージで受け取ったあとにベストベーシストとしてまっすーが呼ばれたときはほんとに声出たし自分のことより嬉しくて涙でました、まっすーが降りてくるまでに止めたけども。tinkの方で受賞したっていうのも大きくて、あのときは見に来てた後輩や引率の内山先生までみんなして喜んで盛り上がっちゃった。

OTONOMORIだけじゃなくて超文化祭も出演決めてもっと他の高校とも交流増やしてみようとしたのは私の代からだし、自分がやってきたことがどんどん認めてもらえたりそれでみんなの士気が上がったりするようになってそれがすごく心地よかったです。

わたしが部長になってからコロナ真っ只中なのもあり全てが変則的で、それでも配信中心でライブの企画はあることを知って参加してたから例年とは全くちがう1年になったと思う。1年生の頃に見てたライブハウスでやる春夏冬校内ライブ、あれをすごくやりたかったけど叶わなかった、悔しいです。それでも活動休めちゃいけないと思って色々進めて1人でこだわりすぎてあんまり人を頼れなくてそれはそれでやりがいはあったけど全部自分で決めたり各方面と連絡取ったりするのがめっちゃ大変だった、何も偉くないんだけど本当に。まっすーにも人を頼るのが下手だよねって言われたり、立花に周りの人を上手に使った方がいいって言われて、そのときにりこが手を貸してくれました。ずっと気にかけてくれてたのは分かってたけどお互いに遠慮があってそれまでずっといっしょにできてなかった。でも冬ライブの企画運営辺りから分担してやるようになってすごく楽しかったし、他の運営の2人とも協力してやったからこそあの状況下であれだけのものができたんだなぁと実感します。わたしがフォークソング部大好きなのと同じくらいりこもこの部活が大好きなのがその仕事ぶりからすごく伝わってきて、そんな人といっしょに二人三脚で色々やれたのすごく良かった、わたしも成長したし、沢山のものをこの部活に残せたと思います。OBの方からもここ最近はコロナで動けないなか出来ることを一生懸命やっていて感動したって言ってもらえて(それも1人じゃない)腐りそうだったシーンもよく耐えて明るくやり切ったなと自分でも思いました、おつかれ自分とりこ

そんな感じで迎えた冬ラはゲスト出演でもとすなで体育館に立てました!中夜祭で感動したステージに自分が立てていることに興奮したし、当時史上1番歌っていて気持ちが良かった、ボーカルでよかったって何度も思えた回でした。転換手伝う内山先生に「2年生!!すごかった!かっこよかった!!!」って言われたのをすごく覚えててそれにまた感動しました。

年末は死ぬほどにライブばっかり出てたね、今見たら1週間で4つ出てた、ええ… 濃厚接触者が出て色んなところと連絡を取ったり出る予定だったライブが無くなったり(5つ/1週間の予定だったということ、)気持ち的にもしんどかったけど、経済との合同ライブに無事出演できたときの有観客がほんとに忘れられない。努力にお釣りが来ると思いました、経済の皆さんや後輩たち本当にありがとう、ステージの側から感謝したいくらい楽しいライブだった。スケジュール見てたらその次の日に、隣のクラスであたオカの配信を誰かが流してくれてるのを聴きながら数学の追試をまっすーと受けたのも思い出した、色々とよくこなしたわ。

年明けてしばらくしてクロマトーンを作り始めていましたーこの曲は要するに変な作り方してしまったんだけど初めにイントロを思いついて(夕焼けみたいで気に入ってる)そのあとコードと構成を考えてメロディーもいくつか考えたんだけど自分で考えたメロディーを歌うのがすごいやでまっすーに投げちゃいました。その頃まっすーとすっごく仲が悪くてわたしが色々マイペースに進めてたのが良くなかったんだけど、お互いにムカついててついにツイッターで煽られて喧嘩した…DMで話して仲直りして、気まずさが残る中で曲の完成デモをまっすーが送ってきてくれました。申し訳なさで作ったらしいね。それが良すぎてというかわたしの心中でこんな感じにしたいなっていうのに添ってくれてるし超えてくれてるのが嬉しくてすぐに電話しました、そこでやっと色々不和を解消した気がする。この曲はバンドにすると分かりづらいけど変なコードで、心のモヤモヤした感じとかそれが最後割り切られる感じを出したくて、頭の中で聴こえる音を追っていってひとつひとつ置いたからパターンがなくて今考えたらすごくひとりよがりな進行だったかなと思ったし、それでまっすーを困らせてたというか理解してもらえないと思ってたんだけど、後にまっすーから「これを聞いたときに歌詞やコード感にあなた自身がすごく表れていて感服だった、いいメロディーをつけなきゃなと思って時間がかかった」んだと言われて勝手に感じてた溝も埋まるような気持ちになりました、すごく素敵なメロディーつけてもらって嬉しい、ほんとにありがとう。(クロマトーンでわたしが使ったDsus4-Dm7の進行をここ良いねって言ってまっすーが自分の曲にも使ってたりしてそういういちいちも嬉しい。)(1年生のときにお互いや友だちの雰囲気をコードで表すっていう遊びを2人でよくやっていて、そのときにわたしがまっすーを表したGm6も色んな曲でしょっちゅう使ってくれてて面白い)曲にする前の自分の頭の中では結構とんちんかんなことばっかり鳴っててそれを聴けるようにと思ってキーボードなんかを考えてたけどそれをメンバーに褒められるのが嬉しかったなぁ、この曲を作ってよかった、歌詞をちゃんと書いてよかったし、人に聴いてもらえる幸せも知れた。

4月に1年生が入部して谷口と3.5で出会ったんだけど、その頃の谷口はサッカー部入ろうとしてたから阻止してフォークソング部に絞ってもらっちゃった。谷口はクロマトーン作ってるときのスタジオに何度か来ていて(なんでもありだな)そのせいでクロマトーン俺の中で1番好きって言ってくれるの地味に嬉しい。谷口といるときの自分は中々新鮮で、部活の後輩としても東進の仲間としても友だちとしても音楽好きとしても変な関係だけどめっちゃ会えてよかったわ、2個も歳違うのに色々相談し合えてるのが自分でも変な感じ。あたオカみたいになりたいって言ってくれたのに期待してこれからまだたっぷり時間あるから色んな経験を積んでいって欲しいと思っています。誰よりも応援してるよ!

クロマトーンを初公開したラパン配信ライブ、あれは楽しかったね、県千葉としてみんなでなにかやれたのはこれが初めてだった。4月の頭にあった新人戦辺りから2年生と絡み始めたと思う、そのときわたしは司会をやったりして1番近くで見ていたけどほんとにうちの後輩は上手で、立派に千葉市強豪校1位を獲ってきてくれました、すっごくワクワクしたし嬉しかった!2年生に言いたいことたくさんあります、うちの部活は人数もどんどん増えて配信が多くなった分校内での見られ方も変わって目まぐるしい中、この部活を盛り上げる上で大きな役割を果たしてくれたのが2年生だと思っています。わたしたちがライブやるたびに盛り上がってくれたりツイッターで呟いてくれたりして1個1個嬉しくて眺めたし、後輩の存在が活動する上で大きい原動力になってたよ!キャラクターも面白い人たちばっかりだし、歌が素敵な子も自分の楽器に愛持ってる子も多くてわたしもあなた達の代が大好き。バンド楽しそうに合わせてるとこっちまで嬉しくなるしライブ企画して良かったなってなるし、何より聴いてて上手な所がほんとに多くて刺激もらってばっかりだった。2年生同士お互いのバンドを聴いて最高だった!って言い合ってるのもほんとに、素敵。当時コロナで入部の時期もズレてしまったけど勧誘がんばってよかったなと心から思います、部活をこの代に引き渡すに際して何一つ不安がない!むしろ楽しみです。1人で色々やってた頃からりこもメインになって手伝ってくれるようになって、それから次期部長大上が決まって大上ともたくさん分担して丁度よくやれた、迷惑もたくさんかけた、引退が近づくにつれてわたしの忙しさは良い意味でフェードアウトでした。彼もこの部活が大好きなのが全面に出てるよね、わたしよりも上手くやると思います。超中夜祭で引退なの寂しいって言ってくれる子がたくさんいてなんかもうそういうの見る度に泣いちゃってたわたしも寂しい、絶対またみんなのライブ観に行くしこれからもっともっと上手くなってっちゃうんだろうと、心から期待してます!

それから夏に入って受験を意識し出してもう気持ちが萎れてしまった7月…ライブくらいが支えで、それ以外は家か塾で1人なの寂しすぎてダメだった。野外ライブ出るためにスタジオ入る中で似者の端緒が出来上がったけど、普段事前にデモを配っておいて全員練り回してからスタジオで合わせるのに、似者は作りかけのデモをスタジオで初めて聴いてそれを耳コピするところから始めるっていう変な作り方をしました。このときにあたオカはみんな天才だと思った、曲作りに安定感も出てきたよね。それからまだやり残したことがあるなぁと思ってグッズ作成も7月に始めた!イラストを描いてくれたのは1年生の頃からあたオカを聴いてくれている他校の女の子で、たまたまツイッターに上がってたイラストにわたしが一目惚れをして依頼したところ、本当に快く引き受けてくれました、素敵な出会い。それから、まっすーと一緒に歌った夢に現のリミックスのは配信でも言ったけどほんとにちゃんとした方(わたしもリスナーだった)が作ってくださったトラックであちらの活動もあるから名前は出せないんだけども、こっちから依頼したわけでもなくほんとに急にいただいて、聞いてくださっていることすら知らなかったからびっくりしてそれぞれ立ち尽くして静かに泣きました。規模感で言ったら高校最大の思い出かもしれない。夏休みに増山宅でレコーディングした日は高揚感でたくさん夢を話し合いました、夏休みの神回と呼んでいます。そのあたりから中夜際に向けて練習入れ始め、みんなと会える安心感で心持ち直しました、特にtinkの練習は前日夜眠れないくらい楽しみだし終わった後みんなでプリクラとったり、串揚げも食べに行ったね!笑い止まらないし5人ならではの空間がほんとに大好きー。


それから迎えた文化祭ね、開催にこぎつけるまでも色々大変だったけど大上やりこや執行部顧問の有馬先生や執行部の斎田くん黒山さんなどの協力があってあの形で開催ができた、ありがとうございます。本番まで忙しすぎて引退を実感する暇もなかったわ。わたしクラスの方でも歌ってたから喉やっちゃうんじゃないかと思ってたけど全然つるっつるで過去一喉が開いてた。体育館での一瞬一瞬はまだ思い出になれてなくて語るに忍びないんだけど、めちゃくちゃ鮮明に記憶に残ってるしこれからも残ってくれるだろうなと思う。メンバーひとりひとりへはお手紙に書いたつもりなので省略、みんな大好きです。ライチはずっといっしょにやってきた4人で出られなくてそれを知ったときすごくイライラしてしまったんだけどよく考えればそれは悔しさとか歯がゆさで、4人1つで色んな経験してきた分やっぱり残念だった。でもまぶちが引き受けてくれたおかげでライチの新しい一面も見られたしこのバンドでギタボできてすごく楽しかった!ここが無ければわたしこんなにギタボ上手くなってないです。大好きな3曲をあの場であかりとまなとやれたことがすごく嬉しい、最後の練習でまっすーとりこに来てもらって聴いてもらった帰りにまっすーがライチをベタ褒めしてくれたのが心から嬉しかった。2年半も長い間ありがとう。tinkは本当に何度も言うようですが寄せて集めたのに今となってはあのメンツ以外ありえなかったと思うくらい実家のような安心感、ですよ。tinkのおかげでボカロを聴くようになったという声もちらほら確認してて布教も成功したんじゃないでしょうか、難しいことにたくさん挑戦して身の丈に合ってないことも沢山あったけど最後の最後で完全燃焼、やりたいことやり切れてこのバンドで後悔なく終われたことに正直びっくりしてる。スタジオの中でも外でも楽しい時間をたくさんありがとう。あたオカは前述の通り軽音部にすら入ってなかった人がほとんどの中奇跡みたいなバンドです。わたしがぼんやり抱いてた理想の引退が現実になるだけじゃなくて、理想を超えたところで完結したのも4人全員ひとりひとりのおかげです。あの日みんなに声掛けてなかったらどうなってただろう×4。わたしたちはほんとに誰かを楽しませようとかそういう余裕のあるバンドではなくて、自分たちのやりたいことを追うので精一杯だけど、そのありのままを一切否定されたことがないしみなさんに受け取ってもらえてて、それがほんとに、嬉しくて原動力で、なにか形にして恩返しができないかとも思うけど、5人となるとやっぱり音楽でまた返すしかないんですね、あとはこうして言葉にするくらいしか、、こんなに透き通ってて幸せな循環があるんだなって、ほんと夢みたいに思ってます。


それからわたしのバンドの人はわたしから声掛けて入ってもらった人が多くて、ずっとそれを気にかけてしまうと言うか一抹の責任感をずっと背負っている気分でした、バンドをするのにお金だってかかるし時間も取られるしわたしと出会わなければもっとこの人たちは違う人生を歩んでいたんじゃないかって考えて怖くなることがしょっちゅうあった。そういう人たちをちゃんと楽しませなきゃいけないとずっと思ってて、その使命感は負担じゃなくてむしろ燃えるものでした。でもそういう不安の中ライブの度にバンド誘ってくれてありがとうって言われたり今日のライブ楽しかったって言ってるのを見てすごく安心して、ほっとしました。わたしも本当にあなたたちとバンドできて長い時間いっしょにすごせて幸せだし、どんなに価値のあるものと比べても替え難いよ。

ちょっと番外編。(書きそびれたと思うところ掬わせて)

ゆうみさん、素敵なお手紙ありがとう。あなたみたいなギャルが真面目にあんな文章かけるなんてシュールね。ボロボロに泣いたし泣いちゃうからあんまり読んでない(5回は読んだ)んだけどちゃんと伝わりました、ゆうみさんが抜けてからたくさんのドラマーさんといっしょにやったけどゆうみのセンスはキラキラだったねってまおとたまに話すくらいわたしたちゆうみのドラムが大好きだよ今でも。納田くんが入って5人になった後のあたオカも応援してくれてありがとう、1番の味方!もう一生ゆうみとバンドできないって誰も言ってない!卒ラで元祖あたオカの3人復活しませんか?そう考えたらやりたい曲たくさん思いついちゃった。また3人でごはん行ってくだらないことしゃべり倒したいしね。ゆうみと出会えたことも奇跡ですほんと、これからこそよろしくね

まゆきさん!どうしてもわたしのヒストリーを語るとなると校内中心になってしまって出しづらかったけどまゆきの存在はわたしの部活動においてかなりでかい!お手紙ありがとう、お互いのバンドで同じような立ち回りをして共感する部分も多いあなたにたくさん評価してもらえて幸せです。相変わらずこんなわたしのどこが好きなんだか分からないけどいつもダメなときに拾ってくれて会うと優しくしてくれて実家というより祖母です。(絶対怒る)学校に落ち着ける場所がなくて泣きながら電話かけたのとか懐かし、mudpie!も引退するまで何度かライブみてすっかり好きになってしまったし引退ライブは見ていて自分のことのように胸が苦しくなりました。それからまっすーの誕生日にそこ2人でわたしの話をしていたのをちらっと見たけど恥ずかしいのと同時に謎にめちゃくちゃ嬉しかった。今まで高校違うのに仲良くしてたってことは卒業後も定期で会えるってことだと思ってる、どこかでいっしょにスタジオ入ろう。

まっすー、と夢に現へ向けても。全員にお手紙書いたときにそのお返事のようなものをまっすーからLINEの方でもらったんだけど(長くて「もっと読む」になっていた)そこに色々びっくりすることが書いてありました。最初わたしはほんとにまっすーが音楽好きなことも知らなかったし「実はずっとバンドをやってみたくて…」とは何度か言われてたけどそんなの後からいくらでも言えるじゃん?信じてなかったんです。でも、「中学生の頃エフェクターの名前と種類めっちゃ調べてたりしたー」とか言うからあれほんとなのかな、って、だからわたしは自分の運でバンドマンになるべく人を見つけることができたんです、そうだと思ってました。でも、なんかそれだけじゃないみたいで、まっすーは4月からわたしのことを知ってたと言います。元々フォークソング部に入ることも考えてたらしくて、たぶんわたしが自己紹介でフォークソング部入りましたって言ったからだと思うんだけどそれでわたしのことは初めから印象に残ってたって言われた、何となく気になったって。それから、これはわたしもこの間まで聞かされてなかったんだけど、2年前の秋にわたしがバンドメンバーを探していたことまで知っていて、それで、下駄箱まで早歩きしたそうです、うっすら期待しながら。わたしだって声かけるまで声かけようと思ってなかったし偶然いたに過ぎないと思ってた。そしてほんとに声かけちゃった、、初めて聞いたときは鳥肌立ちました嘘みたいで。きっとそのとき声をかけなかったら彼は自分から立候補することなんて絶対になかったし、そのときまっすーが下駄箱にいなければわたしは他の誰かに声をかけていました。わたし側からの引力による出会いだと思っていたのが、まっすーもまっすーの運でわたしと出会いに来てくれてたんだなって思うと、ちょっと本格的に嘘みたいで怖いね。誰よりも1番人生を変えてしまったなとずっと感じててそのせいで人前に出るようになったし生活も変わったと思う、それが本当にまっすーにとって良かったのか(きっと1人でいてもなにかを始めて完成させていたと思うから)長いこと考えていたけど、最近キラキラした顔で「もっとこんな音楽をやりたいね」って具体的に話すのを見てすごく心が軽くなった、ここのところは誘ってよかったと思うし、きっとまっすーもわたしを誘わせるような豪運を持ってたんだろうなと。

夢に現のCメロの歌詞が当時本当に好きじゃなくて、なんだこれと思いながらレコーディングしました。わたしとまっすーではマジで価値観が真反対なことがよくあって時々それで言い合いになったりもするんだけど、どうせそれのうちの1つだろうなって。その頃その違いを本当に認められなくて、凄いなと感動した次の瞬間から羨んだり憎らしく思ってしまって、でもその才能に執着してしまってるのもまたわたし自身でした。3年の頭頃にそれまでのわたしのアイデンティティが丸ごと消え去るような出来ごとがあって、わあどうしたらいいんだろうって、人前ではわたしらしく居たかったから人に会えずしばらく家にいたときはなぜか夢に現1曲をずっと流して、歌詞のことを考えながら眠りました。レコーディングのときのわたしの声はかなり等身大で信じられるものの1つでもあったし。Cメロ全然意味わかんなくて好きじゃなかったって話をしたところ、やっぱりわたしにない価値観というか2人の違いを、歌うことで認めさせたかったって言われて、またちょっとイライラした、そんなことしないで下さい。それでもまっすーと色んな話をする中で少しずつその言葉が理解できるようになったし、ついに超中夜祭の1番最後ここを歌ったときにバチっとまっすーと目が合ってぐわっ…って全てを実感してしまって驚きました、本当に泣いてしまうかと思った。今ではここが1番好きな歌詞。

超中夜祭でのわたしの歌声は圧巻だったと言ってもらえました。まっすーが1番傍でわたしの歌を聴いていたから、下手だった時期も知ってるし模索してた時期もきっと知っていて、それでもその過程がわたしの声に色をつけているんだと思うって言われて、あれほど嬉しい褒め言葉はわたしにとってない。

確かにまっすーに対して抱いた感情は決して一色ではないけどそれでもバンドメンバーとしていっしょにやれてきたこともこれからも色々やれるんだろうなってことも全部嬉しい、出会えて本当に本当に良かったです。細々した目標はたくさんあるけど、まっすーの言う通り、楽しかった高校生活よりももっと楽しい未来にすること、を当面の目標にしたいと思います。

最後に、2年半楽しかったです。楽しすぎて9月16日の夕方頃には死んでしまおうかと思うくらい楽しかった。体育館で全く毛色の違う3バンドでそれぞれで歌いきったー。ほんとたくさんありがとう、あそこに来てた人も配信見てくれた人も親もバンドメンバーはもちろんなんかその他たくさん、ここまで読んでる人も、、誰よりも他人ありきで、他人ありきな自分に自分らしさがあるみたいです。偏っててそれに悩むこともなくないけど終わってみんなに、ほんとにみんなに声かけてもらって心がじーーんとした。この部活に入って人格から声から何から何まで変わりました、信じてもらえないかもしれないけど、ずっと人の目を顔を窺ってばっかりでそうしてる自分が本当に嫌いだった、他人がどんな風に自分を評価するのか、ひたすら怖がってばっかりでした。今は少し違う、自分で変えたような気もするしみんなのおかげで変わっていった気もする。わたしにしか出来ない経験をしました。


文字にしたら往々にして薄っぺらくなって腹立つな、もっといい表現があったら後で書き直します。だらだら同じようなことを何度も繰り返してるかもしれないけど、書き漏らしがあるよりマシです。



今はただ隣で笑えることが全てでありたい







 
 
 

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